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畑の木
北欧フィンランドのバーチ(樺)は先進的で近代的な林業によって、植えられ、管理され、伐採されている。植樹から伐採までのサイクルは50年で、森は50のエリアに分割されて、毎年一つのエリアを伐採しては、翌年はエリアを変えて植樹と伐採を繰り返す。そして、50年後にまた同じ場所にもどってくる。今年植えられた木は50年後に伐採される。これは、輪伐と呼ばれて、日本でも江戸時代17世紀には広く行われていた方法である。
フィンランドの林業は生物多様性の観点からもとても慎重に考えられていて、伐採する際には、全ての木を切ってしまうのではなく、鳥や小動物の隠れ家、菌類の繁殖の場として、数本の木を残しておく。また、倒木も新たな木の発芽や苔、微生物のためにあえて放置される。人間が計画的にできる持続可能で最善の方法で木は育てられている。
森の木
一方、家具に使われる、オークやウォールナット、チェリーなどの樹齢150年以上の広葉樹は野生の木である。その木が芽吹いた時に生きていた人は、いまは誰一人いない。150年待たないと収穫できない木材は、林業の経済的な採算には乗らないため、計画的に植樹、収穫された木は流通していない。アメリカの広葉樹の森も人間がつくったものではなく、基本的には放って置かれて、自然に再生した二次林である。
材木屋さんから北米のウォールナットの木から鉄砲の銃弾が出てくるという話を聞いたことがあるが、それはアメリカ南北戦争時代の弾丸だそうである。150年前に森の中で芽を出し、人知れず自然に育った森の木は、たまたま現代に伐採され家具となった。北欧家具の材料となった北海道のミズナラの大木は、アイヌのシャクシャインの戦争を眺めていたに違いない。
ただ、受けとるだけの自然
「森の木」は、現代の資本主義の世界では絶滅危惧種となるであろう。フィンランドバーチや杉などの「畑の木」であれば、持続可能なかたちで経済システムに組み込むことはできるかもしれないが、150年かからないと育たない「森の木」は、到底、システムのスピードに追いつけない。しかし、恐ろしいことに、一部の「森の木」は大量生産、大量消費のサイクルに組み込まれてしまっている。オークのテーブルや椅子が安価に大量に売られている。厳密な計算をしなくとも、資源は確実に失われていくことは誰の目にも明らかなのではないだろうか。
「ただ受け取るだけの自然」、たとえば、野生の淡水魚、太平洋のクロマグロ、うなぎなど、多くの野生の資源が消えようとしている。より安価にものをつくりたい、食べたいという欲望は、このような野生の資源に対しては極めて抑制的でなければならないのではないかと思う。年中うなぎを食べなくても、回転寿しでマグロを食べられなくてもいいのではないだろうか。
アイヌの人たちは熊のことを「神(カムイ)が人間のために毛皮と肉を土産に持って、この世に現れた姿」と考えた。熊は神からの贈り物なのである。自然からの贈り物を、ほんの少しいただくという感覚は、「森の木」を扱う人として忘れてはならないことなのだと思う。
それから、わたしたちは生活のために仕方なく経済システムに従う、ということをやめなければならない。これから私たちは智慧を出し合い、大量にものをつくらずとも、人が普通にくらしていける社会をつくらなければならないのだと思う。
文・清水 徹 挿絵・有賀一広
2016.5.17
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